横浜飛び降り巻き添い死亡事件:海外からの視点

教育

先日横浜駅隣接の商業ビルから17歳の高校生が転落し、落下地点にいた女性一人を巻き添えにして二人とも死亡してしまったというニュースがあった。悲しくてやるせないのは皆同じであろう。なぜ転落してしまったのかは想像はつくであろう。

そのニュースについて海外在住の僕が常に思っていることを現地の方々の意見を交えつつ書きたいと思う。

みなさんはきっとマレーシアのことを「第三国、発展途上国」と思っているだろう。

まず、日本国内の自殺者数だが、2023年度は

21,818人

である。ちなみに僕が住んでいるマレーシアは2023度

1,087人

である。ちなみにマレーシアの人口は約三千四百万人であるから、日本はおよそ3.6倍の人口ということだ。それを当てはめてみると、1087×3.6=3913人である。21,818:3913=5.5倍もの割合で日本の方が自殺者が多いといういうことである。5.5倍という単純な倍数で考えるるよりも実際の人数で考えたほうがよい。21,181に対して3913人である。人の命は倍数なんかで考えるべきではないのは確かである。実際にはこれくらいの数の方々が毎年思い悩んでいるということである。

僕(FUMI)は30数年前にマレーシアに住み始め、世界をテンテンとした後にマレーシアに戻ってきたいわゆるどっぷり東南アジアに浸かりまくっている人間である。この国の魅力に惹かれて現在でもここに住んでいるわけであるが、理由は簡単である。

日本は生きづらいからである。僕自身も実際に日本に長く住んではみたが、どうも日本に馴染めなかった。同調圧力、年功序列、あり得ない税金の使い道、合理主義は敵、怒らない日本国民、魂を抜かれた若者たち、アジアの競争に完全に負けた国、井の中の蛙。

マレーシアでは嫌なことはイヤ!と国民全員が普通に発言する。

日本においてなぜ若者がここまで自分の命を立ってまでこの世を去ってしまいたいのかは非常に理解ができる。同情する。たとえそれが義務教育や学校教育の現場の中の小さな輪の中で原因が生まれているとしても、子供たちにとってはそれが全てなのである。日本の学校は教育委員会はじめとした関係者学校の外を見せたくないがため、なるべく子供たちを学校内に閉じ込め、外の世界を見せたくないのである。外の世界を見せると学校の教育現場の愚かさを子供たちが知ってしまうからだ。いかに日本の学校という環境が一般社会とかけ離れているかが子供にバレてしまうからだ。職員達がいかに「学校」という決められた環境の中で「もがく」ことにより自分の地位が確定し、給料も確定し、その小さなシステムの中のトップに上り詰められるかという悲しい現実を見られたくないからである。官僚以下全員それを知っている。いや、末端の教員はそれすらも知らず、無知な人間としてただただ日々学校で仕事をしているだけの悲しい存在である。ということを知られては困るのである。僕も日本で教育を多少は受けたのでそんなことはわかっている。ちなみに僕の父は海外で数年間だけではあるが一般企業を退職したあとに海外の日本人学校にディレクターとして勤務していたことがあるが、父のように一般企業で戦い抜いた企業戦士から見ると、公務員は税金をただただ無駄遣いして、なるべく外の社会に自分達の存在が知られることを恐れている集団であったとのこと。やるせない。

際たる果てはその学校教育を終えたわれわれ大人達が一言も声を上げない部分に最大の問題点がある。が、これはもう日本の文化であり、何百年と継承されてきたものが国民の血に完全に埋め込まれているので、もはや覆す術はない。

そして子供たち自身は逃げ場がないと思い込んでしまう。逃げ場なんて世の中にはいくらでも存在するという事実すら気づくことができないほど学校教育に毒されている。

だから僕はせめて自分の娘には絶対に1ミリもそんな悲しい「非現実的現実」を見せたくないがためにマレーシアに住んでいる。いわゆる僕自身が堂々と「逃げた」わけだ。逃げることは正義であり、勝利である。完全に自分との葛藤の戦いに勝利している。ちなみにマレーシアでは自分は自分、あなたはあなた、他人は他人、俺は俺、の世界。100%完全自己責任であるがゆえに、100%の自由度も与えられる。

もう一つの日本の最大の汚点は・・・

・美しい国ニッポン
・クールジャパン
・貧困国に寄付を


みなさんは上記のような標語を聞いたことがあるのではないでしょうか。これらは何を意味するかというと

日本人である私たちは恵まれているのだからそれを誇りなさい。私たちは裕福なのです。

という標語である。全て官僚や政治家が思いついた標語である。日本国民をいかに騙して極限までガマンさせて、税金を最後の最後まで搾り取ることしか考えていない。

外国に数十年住んでいる僕からすると本当にマジで心の底からチャンチャラおかしい。アフリカが貧困に苦しめられているだと?あんな豊かな大地が?そして東南アジアは貧困に困っているだと?マレーシアに来てみろと言いたい。

海外に住んでみるとそんなことは1日で理解できるが、日本国内に住み続けている限りその事実に気づくことは1ミリもできない。日本はもはや最貧民国の一部であるし、アジアの競争力に完全に現時点で負けて最底辺である。そして最後には若者の自殺者数を見てみるがよい。この意見を聞いて「そんなことはない!日本は豊かだ」と思う人がいるのが当たり前である。そんなお人好しな国民が99%だから日本という国は成り立っているのである。

これが美しい国か?

胸を張って口にしてみるがよい。美しい国だと。

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ちなみに僕はここマレーシアの現地人と接する時間が極めて長い。一日中、朝から晩まで一緒にいることが週に何度もある。その都度日本の議論になる。なんせマレーシア人は日本が表面的に大好きだから。そこで僕は必ずこう言う。自殺者数を調べたことある?収入に対する支出を調べたことある?車検って聞いたことある?NHKっていう国民をATMとしかみていない半国営企業があるって知ってる?と。

その現実を知った現地のマレーシア人達は絶句する。特に自殺者数を。しかも子供達の自殺者数がとんでもないことになっていることを。なぜそんなことになっているのか、現地の方々は一切理解ができない。なんでそんな制度をやめないの?と言い出す始末。日本人としてとても恥ずかしいし、反論の余地もない。

話は長くなったが、僕は常に日本人は外国に出るべきだとこのブログで訴えかけている。1日でよい。3日でよい。1週間で良い。どこの国でも良いから休みがあるごとに隣国に出かけてみてほしい。そして自分の国である日本という国の本質を見抜く力を養ってほしいと常に願ってやまない。特に若者たちには。


亡くなった二人の女性に最大の敬意を払い、今後こんな悲しいことが二度と起こらないよう、いや、せめて激減してくれるよう願ってやまないのである。合掌。

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